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to Re Live

経緯

大切な出会い

​ 数年前のこと。私は、土に触れて生と死と向き合うために、友人と岡山県の高梁市に農地付きの空き家を購入し、地縁も血縁もない場所に移住した。そこで偶然、裏の山に住むぶどう農家のおじさんと出会う。そのおじさんとの出会いは、私と友人の生活を大きく変えた。私は田舎に住めば出会いが減ると思っていたが、走り回って生きる日々は本当にたくさんのご縁をもたらしてくれた。
​ 私は、生と死の溢れた環境で、意味や目的のもっとその前にある「いのち」と向き合うことに根差したかった。誰も拒絶せず、風のように生きる日々は、本当に言葉では表せられない、表したくもないと思うほどの悦びに溢れていた。もちろんその分痛みや苦しみも生々しく激しいものだったが、そうした生の痛みも、あまりにもゆたかで有難いものだと感じられた。
​ こうした日々は、私にとって、大切な人に見せたかった、ずっと探していたかけがえのないものだった。ありのまんまのいのちを、ありのまんまに大切にして生きるということを、夢ではなく、もっとも確かな現実として叶えられる環境そのものだった。
​ その中で、そのぶどう農家のおじさんが伝えてくれたワインという夢への想いは、私にも大きなショックを与えた。心に雷が走る使命感のような激しい直覚は、人生で二度目の確かな経験だった。

​生と死の狭間で

​ その後唐突に訪れた、「どうしてこれほどまでに」と思う程の災いとやるせなさが襲いかかり続ける体験は、私を死に最も近い距離まで近づけさせた。突如いのちが半身を失い、それからの日々は、その先のたくさんの歯車を狂わせる力との戦いでもあった。根幹を失えば、その上のものが正常に動き続けるはずもなく、それでも何事も無いかのように生活し続けることは、異常なやるせなさを抱きしめて生きるしかない地獄だった。突き刺され、抉られて、ゴミのように放置された心、まだ無事だった身体もそんな地獄のような日々の中で、擦り減らされ、削られ続けていった。原因も解決策も全て分かるのに、無限に繰り返されるその地獄の日々を、そのまんまに背負って生きることは、私にとって唯一確かないのちを、大切な人を守るということでもあった。周りから見たら果てしなく不幸な姿に映るかもしれないが、私は「これ以上のことはない」といのちの底からその悦びを感じられることが、どんなことよりも遥かにゆたかで嬉しかった。
​ 私は痛みや苦しみの無い日々にも、安心安全への執着にもたいして関心が無く、そのもっと先にある大丈夫を探してこれまで生きてきた。今も、この地獄の延長線上を生きて、大切な人の大丈夫でありたいと願っている。

失ったものと進むもの

​ どんなに頑張っても、やっぱりそれでも止められず、失ってしまう歯車たちは、たくさんあった。どんなに気丈に振る舞っても、私が頼りにする直覚の鋭い人たちには、やはり多くの違和感を与えていたようにも感じる。それでも、数年間もの間、初めに抱いたおじさんとのワインの夢を実現させるために、後悔の無いぐらいまで手を尽くして走り回れたと思っている。最終的に失ってしまったものは大きいけれど、いのちを生きる日々に、何の恥も後悔も無い。
 その全ての日々が、あったおかげで、ようやく始められたワインぶどうの栽培も、心得も、風景もちゃんとここにあって、小さくゆっくりと確かに、動き出している。唐突に放り出されて一人ぼっちになった夢も、どんなに進みが遅くても、どんなに転んで後戻りしても、僕はアホでドジで未熟者だからいっぱい失敗するけれど、それでも僕がちゃんと握りめて大丈夫だと伝え続けていたい。
 全てのご縁がやおら形を成し、全ての偶然がまるで必然かのように、この瞬間をもたらしてくれている。その全てに、本当に、心の底から感謝をしたい。ありがとうと伝えたい。いつの日か、その全てが詰まったワインをみんなで飲んで、また最高に笑って、泣いて、抱きしめ合いたい。

to be vine

ワインの話

手触りのあるワインの風景

​ 私はもともとワインが好きなわけでも、たくさん飲んでいたわけでもない。ワインに対しては多くの日本人と同じように「格付けや評価のある高貴な世界」のイメージを持っており、かなり遠い存在であった。
​ だが、ぶどう農家のおじさんが私に見せてくれたある醸造家の方の語る元来のワインについてのお話は、そのイメージとは大きく異なるものであった。欧州の一部地域ではぶどうをワインにすれば腐らない貴重な飲み水として利用できることから、ワインの文化が発達したとされている。日本でも昔は醤油や味噌を自分たちで作っていたように、欧州では多くの家で毎年ワインを作る文化が根付いてきた。日本人の我々が想像する大きなワイナリーの姿ではなく、一般的な家庭の蔵や倉庫で、寄ってたかってみんなで摘んできたぶどうを手や足で踏み潰し、発酵させ、毎年違う味を、食卓を囲ってみんなで楽しむ風景がそこら中にあったという。
 水の豊富な日本では国家の財源として酒税の仕組みが作られ、それが今も残っている影響で家庭でアルコールを作ることが法律的に禁じられ、こうした風景は生まれてこなかった。そうした歴史もあって、日本ではワインに対して、身近なものというよりも高貴で格式高いものとしてのイメージが定着することになった。

テロワールと民藝の共鳴

 このように、その年の気候や、その土地の風土など、ワインの味を織り成すあらゆるものを楽しむ文化を、テロワールと呼ぶという。その醸造家の方は、土地固有の味を探すために、農薬や化学肥料を使わず、土地固有の遺伝子を持つ品種を植えて、醸造過程でも添加剤などは一切加えず、その土地にある酵母に発酵を任せるという手法を取っていた。そのワインを初めて飲んだ時の衝撃は、忘れたことがない。決して綺麗で高貴な味などではなく、ものすごく複雑な味わいで、まるで日本の豊かな風土がそのまんまに表れているかのような、そしてものすごく元来の日本人の舌に合っているような美味しさに感動した。
​ 私が衝撃を受けたワインはもう一つある。それは、周防大島で夫婦二人で営む小さなドメーヌ(栽培から醸造まで一貫して行うこと)のワインを飲んだ時のことだった。大島の風景や、そこで丁寧にぶどうに向き合う人の姿、人柄、あらゆる物語が「想像できる」というよりも「浮かび上がる」ような感覚に近かった。それも日本原産のヤマブドウ系の品種であり、複雑さを持ちながらも、丁寧に洗練されたような味わいであった。会ったこともないのに人柄が浮かんでしまうような体験は、民藝的にものづくりに向き合う身としては、あまりにも理想的なものだった。こうした体験を通して、テロワールのこだわり方にも様々なカタチがあることを知った。

迷走するワインとぶどうの洗練

 日本では、ワインの醸造所を造るためには様々な規制があり、その中でも最低醸造量の存在は高いハードルとなっていた。しかし、日本ワイン振興の流れからワイン特区という制度が広がり、最低醸造量が従来の3分の1になり、ハードルが大きく下がった。それでも欧州の民家で小さく醸造する風景に比べれば、煩雑で規模も大きいが、以前よりは随分、元来のワインの風景のような小さくてこだわったワイナリーを造れる可能性が高まった。
 一方でその影響で日本でもワイナリーの数は急激に増え、その多くが西洋品種の栽培をし、「憧れ」の域を出ないワイン産業の流れを加速させている。「ワイン」という西洋から確立された評価基準と常識に当てはめようとする日本のワインは、日本の風土から成る文化としては未だに独自の形を作れていないとも言えるのだろう。
​ だが、生食用のぶどうは、日本では一つの文化として確立されていると言えるほど、洗練され拡大している。私の住む岡山県のびほく地域は、日本一のピオーネの産地であり、贈答用の洗練されたぶどうをブランド化して誇っている。味も見た目も異常なほどこだわる姿勢は、最早アートとも言えるほどのものだ。日本一ということは即ち世界一ということでもある。だが、こうした生食ぶどうはあくまでも商業的なベースを持つものであり、多量の農薬散布と化学肥料、品種改良、膨大な作業量のおかげで成り立っており、風土が織り成す味とは言い難い側面があるのだ。

to go Live

目指すものと課題

風景の浮かぶワインを

​ 私はこうした流れがあったからこそ、手触りのある形でワインの夢に激しく共鳴できたのだと思う。そのおじさんとの出会いから生まれたたくさんの感動も、ここでの生活の中にあるいのちの悦びも、大切な人との奇跡も、言葉で表すことなんでできないけれど、ワインでなら伝えられるんじゃないかと、そう直覚した。それが多くの人にとって、儚く貴重な生きる力にもなれると思った。醸造のものづくりに多大なるロマンを感じ、胸が躍った。大切な人に魅せたい風景が、伝えたい悦びが、そこには限りなく広がっていた。
 本来はそのおじさんと目指すはず
だったワインだが、事情が変わり、現状は私一人で進めていかなくてはいけなくなった。だが、元々私はワインがやりたくてぶどう農家になった身であり、想いは強く、2024年からようやく念願だったワインぶどうの栽培も、醸造研修も始めることができた。
 周防大島の師である松本夫妻が育てているヤマソービニオン(日本原産のヤマブドウとカベルネソーヴィニヨンの子)という品種をメインに据えて、過保護すぎないように、大切に、風通しの良いぬくもりのある環境で、「共に生きて」、その全てが浮かんでくるようなワインを目指したい。
 その傍ら、一番はじめのキッカケをくれた醸造家の方の育てている日本原産ぶどうの新品種も植えて、自然栽培に近い形で育てて、風土の複雑さをよりそのままに味わえるような「そのまんまワイン」も作っていきたい。
 この土地だからこその味を、一つ一つのご縁があったからこそ生まれる味を、「ワイン」という西洋産業的なジャンルや価値基準に捉われず、ただただ「やばい」「うまい」、いやはや、言葉ではもう何も表したくなくなるような、純粋な直覚に従ったワイン造りを目指したいと思う。

現実と課題

​ 現在私は、生食用のぶどうを30a、ワイン用のぶどうを80a近く栽培している。傍ら暇さえあればワインの研修と勉強に時間を割いているため、とても忙しない日々を送っている。一方で、生食用ぶどうも成木園地はまだ少なく生産量が少ないため、生活していくためのお金は稼げても、ワインのための初期投資等に回す資金が作れない。ぶどう以外の収入源を作ると、その分時間が取られてぶどうの栽培とワインの修行に集中できなくなるというジレンマにある。
 ぶどう農家として自立してお金をしっかり稼ぐためには、通常最低でも30a~50a近くの成木園地が必要になる。しかしそれほどの量をこなすと、手が回らなくなり、どうしても本当にこだわって手をかけることが困難になってしまう。ましてやその傍らワイン用ぶどうを育てるなど不可能に近い。ワインに関しても同じく、卸流通で薄利多売にするとどうしても品質の低下に繋がってしまう。こうしたジレンマを解消しない限り、理想のぶどうやワインは見えてこない。
 私はこれから5年以上の醸造研修を積み、国内外を飛び回って可能な限り充実した修行を行いたい。そして確かなレベルの技術を持って、2030年以降に自分のワイナリーを造りたいと考えている。そして、いずれは
、味にこだわった生食ぶどうを最低限の量だけ育てて、それ以外の時間をワインに費やし、生食の収穫が終わり次第醸造に集中するという流れを取って、大切な人に本当に自信のあるぶどうとワインを届けられるようになりたいと考えている。

風景と生き様の先に

​ 風土も風景も、物語も人柄も浮かんでくるようなワインを目指すということは、風景や生き様が汚くて醜いものだったら、そんなワインが生まれてしまうということになる。あらゆるものが浮かぶワインを作るということは、それ相応の風景と生き様を追求するという前提がある。
 to Re Liveでも書いた通り、どれほどのやるせないことが起きても、どれほどの地獄に苛まれても、それでも大地に立って、いのちに誠実に生きる姿は、私にとって最も重要で、最も根幹になくてはならないものである。それを前提に、風のように生きる存在でありたい。ぬくもりと大丈夫の溢れる風景がここで生まれることを願って、日々汗を流して泥に塗れて走り回っている。
 そのためにも、言語化できないほどの根源的な元気や勇気、悦びや感動を大切に生きていたい。そして、最低限の量を、大切にこだわって作り、大切な人たちに届けたい。

 この理想を叶えるために、今からメンバーシップという形を作り、応援していただける方を募集することにした。更に、ワインのための初期投資費用を捻出するために、ファンディングのページも設けることにした。一度会って、風景に触れてもらって、「お前が作る想像もできないような未来を見てみたい」と願ってくれる方に、出会える日を心待ちにして、大地に這って頑張っていきたい。

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